海辺のカフカとめがね

新しい会社に行くまでにちょっと時間をとったので、とっつきにくかった村上春樹を手にしました。
以前、ノルウェーとねじまき鳥を読んで、永遠のモラトリアムだなあとか、描写がシンボリック過ぎて苦手なんて感じていたんだけど、もうね、カフカ最高。こんなに面白かったならもっと早く読みたかった。久しぶりに一気に読んだ。
ミステリー調の進め方やカラスの存在、メタファー?が散りばめられながら若い精神が自己を確認しながら「他者」である社会や人間、性に向かって内省的に対話を続ける過程が、「自分」の確認につながって、心地良かった。
なんか今まで失ってた、棄損されてたものが戻って来た気がした。
自己形成において、思春期のもつ意味。そして結局、人生ずっと思春期のようなもんだと強く思った。
なんだ、いいじゃん、モラトリアム。
認識論的な意味において、自覚的な知覚は常に正しいのだ。忘れてたよ。
「風」が空気の移動として、そして時間の流れとして、比喩的には人生として「ただ移動している」に過ぎないことと、自己の意識としての変化、変革との矛盾が良い。その無意味さに絶望するわけでもなく、かといってありがちな変な熱意、希望を持つわけでもない。そのある種の達観(諦観といってもいい)が今の自分に響いたんだろうと思う。

海辺のカフカ〈上〉
海辺のカフカ〈上〉

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)
海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

そいで、眠ってた「めがね」を観た。
もうね、これまた最高なんです。与論島行きたい。
個にして全。自然と自然に対して向き合ったり、人と向き合うことが少なかったんだろうなと反省した。
変な主導権の握り合いとか、コントロールしたいがためになだめすかしたりとか。煩わしいよ。
自然と響き合えば良いのよ。まさにハーモニー。
コミュニケーションというなの制約の中で、どれだけ言葉や空気や考えなんかを共有して、響き合えるか、
それが人生の豊かさみたいなものにつながっていくんだろう。これまた自分が戻ってきた気がした。GET BACK MYSELF。

めがね(3枚組) [DVD]
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