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大きなものをmanageする=うまくやるのと、
小さなものをleadする=意味のあるものにしたてる
ので、どっちが価値があるか?と問われれば後にも先にも小さなものをとるだろう。

いつの時代も、いつの日も、若い人新しい考え方に時代は壊され進化していく過程。

全ては考え方だと思うし、常に新しい自分でありたいという意味からも、
保守的であることに自分自身としての意味はあまり感じない。
現象としてはあまり変化はしていない。ただ考え方が変化しているだけだと思う。

そういう意味で、この前見たNOFXとoffspringのライブはすごかったね。
全くもって素晴らしかった。やりたいようにやれば良いのよ。

 

ってよく使う人がいるんだけど、いっつも思うのは、

「それ以上」ってのはその地点を含んでいるはずで、
「それ以下」っていうのもその地点を含んでいる訳だから、
両方とも否定したら、何も残らないと思うんですよね。全否定。

over_under

おそらく真意は、「それより上でも」「それ未満でもない」ということで、
その地点、まさにそれ以外の何者でもないよ、ということであろうから、
これからはそれ以上でもそれ未満でもないと申し伝えたいと思います。

 

まーなんだ、人生そんなにうまくいかないってことでざっくり済ませる気はないのだけど、
Stay behind the ball(=ほぼstay dream)だね。

 

月が好きだ。

なんでだろう、とそんなに真剣に考えたことがなかったけど、
今日なんとなく説明できる気がするので記す。

月は太陽との対比で陰と陽の関係に見えるが、
もちろん物理的にはそんなことはなく、むしろ、陽とやや陽みたいなもので、
反射という観点から言えば、「照らされるもの」であるのだが、
イメージとして「夜に光る」という事実においてのみ、対極におかれているのだろう。

この普段は光らないが、「夜においてのみ光っているように見える」点が、
とても気に入るのであって、通常の繁栄や趨勢などというものは、それこそ、
「どこから光があたっているか」ということにおいてのみ、評価される。

星としての生き様?があるのか不案内で知る由もない。
しかし、恒星、惑星などに比べてなんとも利他的な主義を持つ物体なのではないか。

「夜」がさまざまな汚物を飲み込んでしまうくらいに、
ゆっくり、ある意味誰にとってもやさしくあり続けるのに、
月はある方向からの光のみを評価し続け、光る。

なんとも美しいことではないか。

年のせいにはしたくないが、生来求めてきた美しさというのはこういう種のものだ。

今日も月が綺麗ですね。

 

ヤフオクで手にいれました。(なんと!!1.5万円)

わたくしの父親が子どもの名前にまでするくらい藤沢秀行の大ファンであり、後年、自分で伝記などを見るにつけ、その破天荒ぶりにただ驚嘆するばかりなのですが、ネットキッズなら誰でも知っているニコニコニュースの題字も秀行が手がけていた(今は変わったみたい)ということで、何となく大外から発信されていたコンタクトが意外な経路から届いた気がしていて大変可笑しい。

「膝錐之志」には説明が必要かと思います。名誉棋聖が一時期、好んで書いた言葉で、中国戦国時代、縦横家の蘇秦が、立身の為、「錐」を「膝」にたてて眠気を振り払い勉強した、という故事からの名誉棋聖の造語で、「膝に錐をたてて努力する位の気持ち」という事で、最後の書になった「強烈な努力」と通じるものがあると思います。
http://blog.goo.ne.jp/kodomoigo111/e/72d596d18a641020cbf1eb89ee9c058b

 

『多くの人たちに利用されてこそ、技術である』(井深大)

 

王国一賢い男になるよりも、王国一ハンサムな男になるほうが魅力的だ。
なぜなら、知性を理解する洞察力を持っている人間よりも、目を持っている人間の方がはるかに多いからである。(ウィリアム ハズリット)

 

少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ醒めず池塘春草の夢
階前の悟葉 己に秋声

 

悲しみは喪失感
喜びは獲得感
不安は危機感
怒りは侵害感
から生じるものであります。

 

かくあらねばならぬと言う考え、真面目さは悪癖だ。
もっと柔軟に。より臨機応変に。

(読み人知らず:おそらく赤木しげる