いじめ論

教育委員会ならびに学校が制定するいじめ防止基本方針は、至極まっとうであるが、本質的な原因に目を向けていない。被害者をとにかく守ることに注力している。それはもちろん大事なことなのだけど、背景にある原因は加害者の感情や環境である。

本質的な対策は、いじめをしている人間が抱えている問題に対して向き合い、解消することである。いじめは、加害者が他者に依存しているが故に、問題をそむけ、短絡的な行動をすることで、注意を惹く行為に過ぎない。

ただ、それは、家庭環境、経済環境、本人の気質等により、複雑化しており、学校だけで抱えきれる問題ではない。一方で、過剰に踏み込みすぎると軋轢を生みやすい。

大人も含め、社会的に、3人以上集まると、個々人の環境、優劣、感情により差は生じるものである。それは避けようがない事実である。教育に求められるのは、その差が生じていても、差を認め、

1段階 他者に精神的に依存しない、自立する教育(これはほとんんど親の範疇だが、教師や社会的構成者も協力できる)

2段階 自分の居場所(存在が肯定される)、自分が他社貢献できるしごと、タスクを探す(行動が肯定される)こと

3段階 法的に他者を攻撃しない(これが学校の対応、おそらく典型的な企業の対応)

であり、より深い部分での意識変化を促すことが肝要だと考える。

現段階での学校等での方針は、臭いものに蓋をすることで、幼少期、成長期における根本的な原因に対処できず、表層的な対応になってしまう。被害者の立場や環境、生命が守られるのは当然だが、加害者の環境や、親など依存関係を整理しつつ、精神的な自立を目指すことが本論だろう。(ただ、わたくしは現場の人ではないので、現実的ではないのかもしれない)