RTC Vol.27:『上場と起業』に行ってきました

本当にいまさらな感じが満載なのですが、前回の(東京の)RTCに参加したときの感想です。
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掛け値なしにこれまででもっとも良い内容のRTCだと思いました。
なんというか、いつも仁さんが言うところの熱量をそれぞれのゲストに感じたし、会場全体にも波及していたのが感じ取れた。
ゲストの方々も3者3様のこれまでの起業までの人生があって、共通していたのは、起業する過程の中での「充実感」や「興奮状態」をいつまでも感じ続けて生きたいと言うことだと思いました。
一回きりの人生だし、自分のベストを尽くし続けて生きていきたい、そんな生きる姿勢がひしひしと伝わるわけです。
夢とか希望とかから起業を選ぶ訳だけど、うまくいく例もあれば、うまくいかないこともある。
まあ、それも人生なわけだから、自分の選んだ道を楽しく(ラクというわけではない)進んで行けば良いのだなと。
あと、ディスカッションのときに思ったのが、起業すると
「自分のやりたいことができる」と考えていた人がとても多かったこと。
私は、直接的に起業したわけではないですが、いわゆる大企業からベンチャーに転進して、
「自分のやりたいこと」ができているかというと、100%できている訳ではないです。
むしろ、いろんな制約やリスクがつきまとって、できなくなることも多い。
「本当にやりたいこと」のために、どれだけ「ただのやりたいこと」を犠牲にできるかということが、リアルに問われて、苦しくなることが多いのが実感としてあります。
そのあたり、起業の幻想というか、一般の視点というか、やりたいことやって食べていけるわけじゃないのよ、というところ。私もそうなのですが、見落とされているのかもしれないと感じた会でした。
以下議事メモです。
RTC 20007/9/26
テーマ:「上場と起業」「起業と独立」
<ゲスト>
mixi 塚田寛一
DeNA 岡田龍
ドリコム 吉田浩一郎
2005年
280万社(納税企業)=チベットの人口と同じくらい
新規登記者数 10万人=東京都中央区の人口と同じくらい
ディズニーランド&シーの入場者数
倒産件数 13000件。
自主廃業者数 を加えると10万社。
新規上場会社数 158社 0.15%
そんな中!
<塚田さん>
千葉出身 etic出身。インターンでイーマーキュリーへ。
3ヶ月インターン。ペイメントワン(GMOペイメントゲートウェイ)に行った。
両者とも正社員はいなかったが、2社とも立ち上げを体験できた。
findjobプロデュース、マーケ担当。3年前に事業部長、取締役。
・きっかけは?
スタートアップのメンバーとシゴトをしたかった。
・その判断は正しかった?
yes。人生最良の判断だった。
GMOはオトナなベンチャーだった。自分がいなくても大丈夫そうだった。
・ベンチャーで学んだ跡に起業することは決めてた?
起業自体は学生時代から決めていた。
そのときから20代のうちにはやるつもりだった。
迷ったけど、独立を選んだ。
・キャリアとして「成功」とは何だと考えますか?
村松さんの言葉だが、世の中を変えるようなサービスやプロダクトは
色々なメンバーの興奮状態から生まれるというのがあったが、
自分が言い出したもので社会的にインパクトを与えたいと思うので、
人生の中で何度でもそれを体験していきたい。
<岡田さん>
働くなら、アツイ、成長しているところに行きたかった。
最初はオラクルに行った。将来が薄そうだったので、DeNAに行った。
当時は、システム作ってたが、ビッダーズで何でもやった。
他のオークションサイトとの提携をまとめたりもしていた。
新規事業でリサイクルしてみたり、楽天っぽくしていったりなど、
ビッダーズの全般を次第にやっていくようになった。
DeNA社員番号8番。
株式会社ロッソ
・入社のきっかけは?
国内大手ベンダーがシステムを売るとオラクルが自動的に売れていた。
アメリカオラクルは独自のソリューションをやっていたので、同じことを
日本でやりたかった。いいところまで行っても、社内からSTOP。
価格を下げても、戦えなかった。そんなときDeNA経営陣にあって感銘を受けた。
海外留学も考えたが、DeNAはそれ以上に学べると思った。
・判断は正しかった?
人生でもっとも正しかった。
・ベンチャーで学んだ後に起業することは決めてた?
家系がサラリーマンがいなかった。
小学校高学年くらいには、社長になりたいと思ってた。
その道筋を探していた感じ。
・キャリアとして「成功」とは何だと考えますか?
何回も繰り返したいと思う。DeNAは良かったが、自分のものではなかった。
上場がゴールではないと思うが、「やっててよかった」という瞬間を
何回感じることができるかだと思う。それで、できれば、
世の中が効率化するとか、良くなるとかそういう風になれば良いなと。
<吉田さん>
最初はパイオニアに行った。
初年度で関東圏salesで2位、2年目で1位を取った。
まだヌルイところにいるんだなーと思っていた。
その次に、リードエギシビジョンジャパンに行った。
ショーのコーディネートをする会社。優秀な営業マンで売上げ80億、経常20億。
燃料電池のshowをコーディネートした。
30歳までに年収1000万を目標にしてた。副社長談。
GREE づてでドリコムに入った。
・判断は正しかった?
ちょうちょうちょう正しかった。(w
・ベンチャーで学んだ跡に起業することは決めてた?
起業ってことがあるのを知らなかった。
いつかは劇団をやりたい。
レベルが違う。100万人くらい集めたいので、
一度ビジネスを学んでからやりたかった。
・キャリアとして「成功」とは何だと考えますか?
100年続くような文化的になもの。
我々の世代から価値観を作りたい。
<トークセッション>
■前職では。「上場」はどんな位置づけでしたか?
(岡田さん)
ソネット、リクルートと難波さんで20億円くらい出していたので、
あくまで通過点、こなさなきゃいけないタスクだった。
その先も伸び続けるのが当たり前という風潮だった。
実際は、ヤフオクとかシゴトはいろいろあったからそれどころではなかったが、、、w
(塚田さん)
mixiは笠原さんがほとんど持っていたので、
上場のプレッシャーはあんまり無かった。
上場の話があがり始めたときは、
ヤフー、ライブドア、楽天とかをライバル視して、あせりはあった。
メディアを作るための資金調達、M&A、人材採用などをやるツールとして、
上場があった。なので、mixiサービスを成長拡大させるための手段だったと思う。
(吉田さん)
ドリコムは上場に向かおう、という気運があった。
内藤は分からないが、組織的に上場に向かおうとしていた。
ドリコムは営業部ができて1年半で組織を作らなきゃいけなかった。
文化作りというよりは、プロフェッショナリズムで何とかしていくという感じだった。
成功したい、、、という意味で「お金」という視点はあったと思う。
■上場の前と中と後ろで、会社の動き方と雰囲気は変わりましたか?
(岡田さん)
準備中になると、売上げは絶対落とせなくなる。
社内全体が厳しくなった。DeNAはエンジニア至上主義だったが、
その中で引き締まった感がある。
めげそうになるけど、それで辞めたいってところまでは無かった。
南場さんも厳しくなった。
「数字をあげない奴は人間じゃない」とまで言われた。
開発サイドは広告が無いほうがイイ!と思っていたが、
サービス運営者としての良心みたいなものを曲げなきゃいけないことも
あった。これまで仲良しでやってたが、ビジネスになった感がある。。。大変だった。
2001年くらい。。にキッチリ利益を出さなきゃいかんと言う社長の決意があった。
(塚田さん)
ファインドジョブ自体は、笠原さんが学生時代でそこそこ回っていた。
我々が考えていた目標以上にmixiがブレイクした。
上場にあわせて、ガバナンスをしっかりしなきゃいけなくなって、
スピード感が犠牲になったと感じる。
上場後は、おもったほど変わってない。
機敏にやっていこうというマインドもあるし、よいものは維持できたかなと思う。
メディアとして成立するというゴールは変わらなかった。
findjobとmixiって全然違うけど、うまくやってたかな。。
社名変更でも社内でちょっとあったが、社名をmixiにすることによって、
findojobも認知されるようになった。
上場すると新卒採用がやりやすくなった!
(吉田さん)
東京は準備中で、京都は準備前な雰囲気だった。
東京事業所は1ヶ月4日くらいしか家に帰らなかった。
上場前に「売上げが第一」という哲学を会社に落とし込む。
一番売れている営業マンを内勤にするのがポイント。
上場後、うつ病になって、会社は売上げ第一と思っていない人がいて、
軋轢があった。ぶっちゃけ、上場後はちょっと一息という雰囲気もあった。
・これから起業を目指している人にアドバイスと今後の抱負を。
(岡田さん)
起業はそんなに焦る必要は無い。
遅いことは無くて、仕事をやっていると忙しくなって起業しなくてもいいかな
と思いがちだが、その気持ちを強く持ち続けることが大事。
好きにやれば良い。
サービスを生み出すメーカーとしてがんばっていきたい。
(塚田さん)
社会企業家というワードがあって、そのあたりで仕掛けたい。
CSRとか。風潮として社会的付加価値をくっつけてそれが競争力になったりする。
(吉田さん)
リスクが高いこと、先が見えないことを選択すると良いんじゃないかなと思う。
xeroxの会長の霧がかかった道をいけ。TYOとかGDHとか映像やコンテンツの活性化。
30くらいで映画をとって、
40で不動産に詳しくなって、
45で銀座に劇場をたてたい、
日本の映画研究会とかをインキュベートしていきたい。