まずは、深く追悼します。
誰であっても、自分の意志ではないところで迎える死は悲しい。
明日は我が身だ。そこになんの境もない。
我々は死と隣り合わせで生きている。でも、それはいつも、今でも昔でもだ。
それが早いか遅いかだけの差。周りに泣く人が多いか少ないかの差。
不本意か本意かの差。不遇の一言で片付けるにはあまりに尊い。
いのちだ。
まずは、自分のいのちだ。自分の安全を確保せよ。
身の保全、水と食料、それから通信だ。
君が生きていることで救われる命がある。
蛮勇や偽善は要らない。俺は自分の身を守ることを優先できない人は信用しない。
自分を大事にできないやつは信用しない。(いわゆる自傷行為は別)
他人(ひと)を大事にするということは、自分を大事にするということだ。
一時的なヒロイズムにはなんの価値もない。生きろ。ただ、生きろ。
それで、安全だったら人を助けてやれ。すべては自分の安全が第一だ。
そこは絶対にぶらしちゃいけない。体はパーツだ。パーツは犠牲にしてもいい。絶対死ぬな。
そのためには、情報は疑え、鵜呑みにするな、ソースに当たれ、
信頼性を判断しろ、咀嚼して総合的に捉えろ。
必要なら知識をつけろ。判断力を養え。統合して捉えて、再構築しろ。
判断したなら、行動しろ。すぐ行動しろ。スピードがすべてだ。急げ。
(なんか書いてて、ベンチャーサバイブ論に近い気がしてきた。。。が続ける。)
このような極度に緊張して、継続的に強いストレスが与えられる状況下において、
(不謹慎かもしれないが)いろんな行動、言動をする人がいるので、見ていて面白い。
扇動や揚げ足取りや非難、人のせいにしたいやつ、自分のせいじゃないと言いたいやつ、
責任論、善意の押し付け、善意のかたまり、ヒューマニズム、とにかく突き進むやつ、
立ち止まるやつ、思考停止するやつ、パニクるやつ、待ってましたとばかり知識披露するやつ、
情報を鬼の首を取ったように語るやつ。いろいろいる。
(面白いのは、ソーシャルネットワーク上で情報フィルターしてるにもかかわらず、
それくらいの多様性がみられるということだ。small world理論がこんなところにも)
よく、「極限状態ではその人の本性が出る」というが本当にそのとおりだと思った。
今は、おそらく生まれてはじめてクラスのハイレベルの極限状態なわけだけど、(9・11以上だね)
いつものキャラクターより、より一層強く出る部分がある。それがその人の本質なんだろう。
まあ、分かりやすくていいんだけどさ。
怖いよ、声が出ないくらい怖い。
特に家族はコントロール出来ないから、本当に怖い。
許すのであれば、ずっと一緒に行動したいとさえ思った。
しばらくは、恐怖と不安を押し殺すので精一杯だったというのが本音です。
でも落ち着いたのは、基本に帰ったから。僕の基本は、
コントローラブルなものとアンコントローラブルなものに分ける。これだけ。
コントローラブルなものは、情報と知識と判断力で戦えばいい。
アンコントーラブルなものに対処しようとしてもキリがない。だから、無意味。
割り切りと諦め(明らかに見極める)が大事。
不安ってのは、アンコントローラブルなもの全体から来ているんだよね。
不安になる人というのは、アンコントローラブルなものから出発して、
不安を自分の想像力の限り増大させて、それぞれの可能性を伸長させて、自分を押し潰してしまう。
(それゆえ、ペシミスティックな人はもとより、頭の良い人がメランコリーになりやすい。
統合失調はそのバランスが崩れた状態。)
要は、北朝鮮が原子爆弾を落としてくるリスクは今でもゼロではないだろうけれど、
それを過剰に見積もって、動揺して不安を募らせるより、冷静に判断するほうが合理的だってこと。
(合理的って、心理学上と普通の経済学と、行動経済学上のがあったきがするけど気にしない)
続くのであれば、続く。

 

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