時間について

時間について
先日、ちょうどうちの会社が登記してから1年を迎えた。
7/1は設立の日だ。会社が動き出してから1年と言う時間を越える。
時間。
時間は誰に対しても平等で、等しく扱ってくれる。
その人の境遇、家庭環境、社会環境、政治、経済、シゴト、出会い、
自社や自分の強み、弱み、悩み、人間関係、友達、仕事仲間、性格、人格、
教育など人が時間を過ごしていく中で、違いはたくさんあっても、
時間だけがどんな人にも等しく訪れ、等しく過ぎ去っていく。
仁さんが、「まだ半年か?」と言った。
自分がこの会社にジョインしてから、この前で半年、7月で8ヶ月になる。
もう半年と言う気もする。まだ半年という気もする。
どちらにしても最高のメンバーに恵まれて、好きなことをやっているのは確かだ。
この6ヶ月には、一言では語りつくせない何かがある。
時間の濃度。
半年を振り返っても、いろんなシーンが思い出される。
思い出しただけで、辛くなってしまうこと、思い出し笑いしてしまうこと、
自分の得たもの、happyだと感じた瞬間、自分とは。
(本当はまだ振り返る余裕は無いけど)
半年と言う短い時間でも、人生でもっとも充実した時間だった。
その確信はすでにある。自分の道は間違ってない。
成功するか、失敗するかなんて分からないよ。
でも、求めたのはこんな時間のすごし方だし、
毎日とてつもないエネルギーをもらうし、自分もそれを渡したいと思うし、
発想がぶっ飛んでいく瞬間があるし、信じられない出会いがある。
要は限られた時間の中で、どれだけ濃度を上げられるかだ。
ある取締役は「どれだけ熱くなれるか」が大事と言ってた。
悪くない表現だと思う。濃度を決めるのは自分なんだ。
どれだけ、濃度の高い時間を過ごせるか、
その積み重ねが人生だし、自分そのものになっていく。
でも、不思議なもので濃度=効率や生産性では決して無い。
一見、無駄に思えるような行為でもめぐりめぐって、その無駄な行為に使った時間
ではできなかったような良いインパクトをもたらすことが多い。
一概に、効率やスピードだけを重視して仕事をし続けるだけでは、
パーフェクトにはなれない。
再度。
時間は誰に対しても平等で、等しく扱ってくれる。
自分の時間。人のための自分の時間。それぞれを大事にして事をなそう。
無駄なことなんて何一つないのだから。

武士道は死ぬこととみつけたり。(三島由紀夫)

死を怖れてしり込みしていても、それは意味がない。
“死”と”生”はいつでも対面しているものなんだ。
むしろ、恐怖と面と向かい、”死”と対決しなければ、
強烈な生命感はわきおこってこない。(岡本太郎)

「いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らん。」(孔子)